結核の歴史と現況

明治時代から昭和30年代までの長い間、「国民病」「亡国病」と恐れられた結核も、国をあげて予防や治療に取り組み、死亡率は往時の百分の一以下にまで激減しました。しかし、人々の関心の低下や、多剤耐性菌の出現などにより、結核患者の減少は鈍化しておりますが、1999年には「結核緊急事態宣言」が出されたほどです。

「結核」というと当院の歴史に思い至り、かつての結核病の悪病が脳裏をよぎります。初代所長・正木俊二(院長)は、標高千米の富士見高原の自然環境が結核の治療に適した理想的な環境と着眼しました。結核治療における紫外線の殺菌力の有効性を取り入れ、「大気日光療法」と体力向上を目指した「食餌療法」を実践したのでした。

日本では、今も結核を無視できる状況ではありません。当院付属施設・資料館を見ると、高原病院の歴史への想いを新たにしました。多くの方に結核の知識と予防の大切さを自覚していただきたく、「結核の歴史と現況」を展示する次第であります。

                                                       長野県厚生連 富士見高原病院
                                                        統括院長 井上憲昭 
 日本結核患者死亡変遷
1998~2000年
 結核は過去の病気ではない
 

  

昭和10年の結核患者は、約14万人ほど。人口10万に対する死亡は500人に及び、特徴は15歳から24歳までの男女若者に多かったそうです。  都会では、感染後に比較的早く発病する20代の女性が増えている点が注目されています。また、結核への関心の低下が集団感染等をもたらしています。そして、地域によっての発生の格差も広がっています。厚生省(現、厚生労働省)は1999年(平成11年)、結核緊急事態宣言を発令しました。 
家庭でできる予防
結核は、菌を吸い込んだすべての人が発病するわけではありません。もし感染しても、健康体なら免疫機能が働いて発病を防げます。結核を知ることが予防への第一歩です。